A子「ねえ、小6のとき十三参りって行った?」
B美「うん、近江神宮に行った」
C太「え、京都に行くのと違うん?」
D郎「…十三参りって何?」
1. はじめに ─ 七五三の後に続く、大切な成長の節目として
滋賀県では同じ町の中でも、十三参りを知っている人もいれば、初めて聞いた、なんて人もいます。知っているけど京都に行くものと誤解している人も。
「七五三」はみなさんご存知ですよね。実はこの七五三の次に行われる通過儀礼が「十三参り(じゅうさんまいり)」です。数え年13歳、小学校6年生を迎えるこのタイミングは、子どもが大人への一歩を踏み出す大切な節目。十三参りを知らないなんてもったいない。ぜひこのページを読み進めてみてください。十三参りのことをきっと人に教えたくなるでしょう。
2. 十三参りの起源と歴史

その起源は平安時代に遡ります。当時幼くして帝位についた清和天皇が、数え年十三歳になったとき、成人の証として京都・嵐山の法輪寺で法要を行いました。そこに祀られている虚空蔵菩薩は、仏教において宇宙のように無限の知恵と福徳をもつ菩薩で、特に記憶力を高めるご利益があるとされ、平安時代から信仰されていたのです。それを端緒として、子どもが数え年13歳になったら神社やお寺に参拝し、知恵や福徳を子どもに授けていただく行事「十三参り」が世に広まっていったのです。
十三参りの歴史 年表
時代 | 出来事 |
平安時代初期(9世紀) | 清和天皇が数え年13歳で法輪寺にて成人の法要。これが発祥とされる。貴族の間で知恵を授かる行事として定着。 |
室町〜戦国時代 | 武家や豪商の子どもにも広がり、成人前の通過儀礼として実施。 |
江戸時代 | 庶民にも普及。寺子屋教育と結びつき、学問成就や芸事上達を願う風習が盛んに。女児は初めて本格的な着物を仕立ててもらう節目にもなった。 |
明治〜大正時代 | 学校制度の普及と重なり、知恵を授かる行事として全国に広まる。 |
現代(昭和〜令和) | 七五三に続く行事として再評価。家族での記念撮影や地元神社での参拝が一般的に。 |
3. 十三参りが世に定着していった理由

十三参りが浸透していったのは、さまざまな文化的・時代的背景が重なっているからです。まず、干支が一巡する「干支一巡の節目」として、自身が生まれてからの12年間を無事に過ごせたことへの感謝と、これからの成長への願いを込める意義があります。
また、歴史的には男子は元服※1、女子は裳着(もぎ)※2といった形で成人への第一歩を踏み出す儀礼が13歳前後で行われており、社会の一員として認められる年齢の始まりとされていました。新たな舞台へ進む我が子に、より一層の知恵や福徳を授けてほしいという親の強い願いも高まる年齢だったでしょう。女子では初潮とも関連して最初の厄年になっている地方も多いです。さらに、十三参りで参拝対象となる虚空蔵菩薩が十三仏のうち13番目ということもありました。
つまり、清和天皇が13歳で法要を行ったからだけではなく、干支の節目・社会的な成長の区切り・宗教的な象徴性が重なり合って、この年齢が通過儀礼として寺の行事に根づいていったと考えられています。
※1 元服:公家や武家で、成人になったことを示す儀式。
※2 裳着(もぎ):平安時代から安土桃山時代にかけて、女子が成人したことを一族および他氏に対して示すことを目的として行われた通過儀礼。
4.十三参りの地域ごとの背景

十三参りは地域ごとに育まれた背景が異なります。
京都
十三参りは京都嵐山の法輪寺が発祥とされ、京都には13歳を「大人の仲間入り」として扱う伝統が色濃く残っています。参拝後、渡月橋を「振り返らずに渡る」という風習が有名です。また、少女はこの日から正式な大人用着物(深く肩上げした振袖)を着用できるようになり、成長を象徴する儀礼として受け継がれています。西陣織など地場産業の繁栄とともに根付いていったと考えられています。
東北地方(山形・福島など)
東北地域では、もともと成人を迎える若者が霊山に登って参拝する慣習がありました。しかし、時代が進むにつれてその慣習が廃れていき、地域の寺院で行う行事へと変化していきました。それが虚空蔵信仰に結びついて「十三参り」の形で定着していった背景があります。
滋賀
京都で発祥し、通過儀礼として発展した十三参りは、江戸時代中期以降に京都のみならず、近畿一円からのお参りが一般的に広がりました。十三参りは虚空蔵菩薩への祈りと強く結びついており、滋賀県には栗東市の金勝寺に平安時代作の虚空蔵菩薩が安置されています。そのため京都へ行かずとも県内で詣でる土壌が早くからありました。また、比叡山延暦寺の宗教圏は京都と滋賀にまたがり、日吉大社など古くから強い結びつきを保ってきました。京都の年中行事や信仰、そして琵琶湖西岸につながる宗教ネットワークは、十三参りの受容と定着を後押ししたと考えられます。
このように、それぞれの地域で十三参りは「その土地ならではの背景や目的」と結びつき、ただ形式を踏むだけに留まらず、文化としてしっかり根づいています。
5. 十三参りの現代における意味

歴史ある通過儀礼であった十三参りですが、現代では、
- 子どもの成長を祝う家族行事
- 思春期を迎える子どもへのエール
- 祖父母を含めた三世代の絆を深める機会
- 七五三の次に続く記念撮影イベント
このような意味合いとして、多くのご家庭で催されています。
6. 十三参りはいつ行う?
伝統的な時期は、数え年13歳の春(旧暦3月13日、新暦4月13日前後)ですが、現代の傾向は、卒業・入学シーズンに合わせて行うのが一般的です。多くの神社・お寺が季節を問わず祈祷を受け付けています。
7. 十三参りの当日の流れって?

ごく一般的な十三参りの流れはこんな感じです。
1 | 神社やお寺で受付をします。 |
2 | ご祈祷を受けます(お守りやお札、十三菓子を授かる場合もあります) |
3 | 一字写経を奉納します(好きな漢字一文字を書き、祈りを込めます) |
4 | 記念撮影を行い、家族で会食をしてお祝いします。 |
服装
伝統的には和装(着物・袴)ですが、現代は洋装や制服も選ばれています。
作法
地域によって特色がありますが、帰るときは振り返ってはならない、というものがあります。これは、虚空蔵菩薩から授かった知恵や福徳が、振り返ることで体から離れて逃げてしまうと信じられているためです。
記念撮影
七五三のような華やかさよりも、凛とした大人びた姿を残せるのが魅力です。
8. 滋賀で十三参りのご祈祷ができる神社とお寺

滋賀県で十三参りができる神社をご紹介させていただきます。
大津市 | 近江神宮(おうみじんぐう) 天孫神社(てんそんじんじゃ) 建部大社(たけべたいしゃ) |
近江八幡市 | 賀茂神社(かもじんじゃ) 沙沙貴神社(ささきじんじゃ) |
長浜市 | 長濱八幡宮(ながはまはちまんぐう) |
草津市 | 伊砂砂神社(いささじんじゃ) 鞭崎神社(むちざきじんじゃ) 立木神社(たちきじんじゃ) |
栗東市 | 金勝寺(こんしょうじ) 大野神社(おおのじんじゃ) |
野洲市 | 御上神社(みかみじんじゃ) |
守山市 | 勝部神社(かつべじんじゃ) |
「十三参りは京都だけ」という誤解もありますが、滋賀にも伝統を受け継ぐ神社やお寺が多数あり、地元で気軽にお祝いすることができます。もちろん上記以外でもされていると思います。気になる神社や寺院に問い合わせてみてください。
9. 十三参りをした方たちの声

十三参りを経験された方たちはさまざまな感想をお持ちです。
「七五三のあと特に大きな行事はないと思っていましたが、十三参りを知って参加しました。子どもが自分で選んだ漢字を写経する姿に成長を感じ、涙が出ました。」 |
「孫が小学校を卒業する年に十三参りをしました。袴姿で参拝する姿はとても大人びて見え、成長を実感しました。京都まで行かなくても十分立派にできました。」 |
「お参りのときに『夢』という字を書きました。ちょっと大人になった気分で、これからも頑張ろうと思いました。」 |
10.十三参りの記念写真撮影はどこに頼む?

十三参りの記念写真撮影でおすすめしたいのは「十三参りロケーション撮影プラン」です。神社や庭園で生き生きとした笑顔と、凛とした美しい風景。衣装・ヘアメイクもセットで安心。七五三とは違う少し大人びた姿を、プロカメラマンによって最高の記念写真として残せます。撮影データもすべてもらえて、家族撮影も無料です。
まとめ
いかがだったでしょうか。十三参りの魅力、少しでも伝わっていればうれしいです。まとめますと、
- 十三参りは 平安時代から続く知恵を授かる伝統行事。
- 13歳は 干支が一巡する節目であり、思春期を迎える大切な年齢。
- 京都だけでなく、滋賀にも参拝できる神社・お寺が多数存在。
小学校卒業の時期、健やかなご成長のお祝いと今後のご健勝を願って、ぜひ御子息様とお嬢様の十三参りをご検討されてみてはいかがでしょうか。